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『まじかる☆タルるートくん』

こいつは名作だぜーーっ!!(口調が移るるわーい
熱く語っちまったぜーー!
・・・唖然とするほどすごい長文ですびっくり
5日もかけて書きましたから(滝汗)。
一体誰がこれ、全部読むだろうか?あ、ありえねー。。。

一応、読みやすいように、赤い字で小見出しつけとくので、好きなトコだけでも読んでください。

私にとってのこの作品の存在意義。

10何年ぶりに『まじかる☆タルるートくん』全21巻を読み返しました。懐かしかった。
そして、感動して泣きそうになったというか、読み終えてしまって淋しくなって泣きそうですポロリ
当時もそうだったよなー汗
タルが終わってしまった時の喪失感ときたら、時期が近い『姫ちゃんのリボン』やずっとあとの『彼氏彼女の事情』と同じくらいだったかも。TVアニメで言えば『少女革命ウテナ』みたいな存在。
私が特に好きな漫画家さんが、水沢めぐみさんと津田雅美さんのお二人なので、そこに江川達也の作品を並べてしまう辺りが、私のこの作品に対する思い入れの強さを物語っているかもしれませんね。しかも少女漫画偏重の私にしては、少年漫画、それもタルるートだなんて、思いがけないことかもしれません。

そもそも、「10何年ぶり」と言っている辺り、好きな漫画を読み返すのが大好きな私が全然読んでなかったって事は、どちらかと言うと「昔好きだった漫画」と過去の存在として記憶の彼方に追いやっていた部分が否めません。
恐らく、その後の江川作品に対する失望というのも、強く影響しているでしょうね。もともと、少年誌ならともかく、青年誌はあまり受け付けないし。

しかし、私は間違っていた。『まじかる☆タルるートくん』は、間違いなく素晴らしい名作漫画です。『ウテナ』を名作アニメとして「後世に語り継ぐべきだ」なんて事を私は言ってますが、だったら『タル』も同様の存在であってしかるべきです。ウテナのブログ読めば、私がいかにウテナフリークであるか理解できると思うし、その私がそう言うのだから、そうなんです(笑)。
これは決して、読破したばかりの感動による、一時的なものではありませんし、あってはいけない。この感動を忘れてはいけない。
なんで忘れてしまっていたんだろう?
私にとっては、幼い日のウテナがあの日アンシーに出逢った事くらいに、大切な事だった筈なのに。。。それが、大人になってしまうという事なのだろうか?

今、ファミリー劇場で『まじかる☆タルるートくん』のアニメが放送されています。うちはケーブルテレビで、ファミ劇は観れるし、タルをやっていると知って、割りといい加減な気持ちで観始めたんですよね。「昔好きだったよなー懐かしいなー」程度。正直、アニメの方はクオリティ低いし、江川達也の絵が好きって事はないんだけど、それでもしかしアニメの伊代菜はブサイクだよなあたらーっ
しかしこのクオリティの低さも時代を感じさせて、ある意味懐かしい(笑)。
これがきっかけで、久し振りに漫画を読もうと思ったんですね。

(若干小難しい話になるので、それをウザイと思う人はとりあえずとばしてくださいたらーっ作品そのものについての詳しい話は後半の方です。)

読んでいるうちに、当時の自分の気持ちとか思い出して。
因果応報」という考え方は、この漫画から学んだんですよ。本当にこの漫画は、単に面白いだけではなく、人間として大切なことを学べるんですよ。悪い行いをすれば、自分に返ってくる。私は学びました。世の中には利己的で自己中な人間がいて困りますが、結局、本当に自分の為を思うなら、まず他人の為に何かを為さなければいけない。全部自分に返ってきますから。「利己的」と言いつつ、実は長いスパンで考えれば自分の利益を自ら損なっているんですね。

そして、「非暴力」という考え方を学んだ。
本音を言えば、当時はよくわかってませんでした。「悪い奴」を本丸がぶっとばしちゃえば、読んでるこっちも気持ち良かったですし。当時既にそんなには幼くなかったので、戦隊ヒーローものなどももう観てなかった年頃だったので、「正義」の名の元に「悪」を「暴力」で懲らしめる、というのが如何に偽善であるかという事には気がついてましたけどね。でも本丸っていつも、理不尽な暴力に苛まれますよね。読んでるこっちもそういうのってフラストレーションなので、やっつけちゃえばカタルシスは得られる訳ですよ。
しかし、江川はそれをしなかった。
最終巻で、中学生になった本丸が不良の上級生にボコられますが、本丸は一切やりかえさない。非暴力を貫くんですね。当時、それについて不満を感じていました。やっつけてしまえば、読者的にはカタルシスを得られる訳ですよ。『やじきた学園』(一応少女漫画たらーっ)や『蘭丸応援団』(一応少女漫画たらーっ)みたく、不良学生なんてやっつけちゃえば、読んでて爽快なんですよ。。。って、当時結構、そういう漫画多かったしね。別にそれが普通みたいな感覚もあったかな?
でも、今改めて読み返すと、わかるんです。これで良かったって。
強さって、何なのか、今の私にはわかります。
だって、思い知らされましたから。2001年の9月11日以降。アメリカ合衆国がいかに弱い国であるかを。それまで、外国へ兵隊を送っては殺戮を繰り返してきた奴等ですよ?日本人何百万人も殺しやがったんですよ?それがたかだか、ビル一個くらい壊されて、ちょっと人が死んだってくらいで大騒ぎして、「対テロ戦争」(ただの子供じみた仕返し)だとか言ってまた何万人も殺す。それが、弱さでなくて、一体何なのでしょうか?

タルから学んだのかどうかはわからないけど、でも実際に私は、「非暴力」という精神がいかに尊いかを、悟りました。そして、理解はできていなかったとしても、「非暴力」という考え方を私に伝えてくれたこの作品の存在がいかに素晴らしいか、疑いようがありません。そして、単に漫画の内容を鵜呑みにしたのではなく、きちんと自分で色々と考えて悩んで、そして今の自分がいる、という点においては、そのこと自体、作者の江川達也の望むところでしょう?少なくとも、あなたのメッセージは私に届いたよ。そして、何が正しくて何が間違っているかくらいは、わかるようになった。「何が正しいか」なんて考え自体驕りかもしれないけど。「星の数だけ正義はある」なんて詭弁ですよね?それを正義と呼ぶなら、正義という概念自体に価値がない。某国が正義の名の元に殺戮を繰り返している現状では、とっくの昔に正義なんて地に落ちているけれど。それでも、私は、正しくありたいと思っている。
それでも、私は弱いから、常に行動に結びつかないけれど。
弱いから、自分を守ろうと、つい攻撃的な態度で人を傷つけてしまったりもするよ。
そして今も、世界中で、理不尽な暴力に苛まれている人たちがいて、常に心を痛めているけれど、いったいこの僕に何が出来るっていうの?という無力感に苛まれ続けている。
勿論、戦火にあえいでいる人たちも大勢いる。でも、「平和」という虚実で飾られたこの国、日本にも、心無い他者からの「暴力」と呼ぶに等しい仕打ちに苛まれ続けている人たちが、いったいどれだけいるだろうか? 力になりたいと思う、でも私なんかが誰かの役に立てるって事自体、驕りにしか思えない。
私は、どこへいけばいいんだろう?


『タルるート』は子供にこそ読んで欲しい。

私も色々学べたし、「教育漫画」的な側面はあると思います。でも別に、説教臭くなんかない。これ以降の江川作品の鼻に掛かったような説教臭さとはまったく異なっていると思います。エンターテインメントとして、バランスがとれている。
今の江川はもう、私に言わせればクリエイターではなくなってしまったように思えます。評論家になってしまった。どうしちゃったんだろうね?ちょっと寂しい。くだらないバラエティ番組なんて観ませんので、TVに出て何を言っているかは知りません。でも、TVに出て偉そうなことぶっこいたって、誰も何も考えないんじゃないんですか?
楽しんで読んでいるうちに、何かを学べる、考えるきっかけになる、そんな素晴らしい漫画を、描くことを諦めてしまったのでしょうか?最近の江川作品は全然読んでないのでわかりませんけど。

もちろん、漫画全般的に、私は人生を学べる場だと、思っています。
私は学びました。
漫画が教育上よくないなんて、大嘘。

特に『まじかる☆タルるートくん』は、とても素晴らしい漫画なんです。
ウィキペディアの『まじかる☆タルるートくん』の頁で、「青年読者向けに工口チックな場面を随所に描いているため、子供に読ませるにはふさわしくないという指摘もある。」などという記述がありますが、というか残念ながら「そういう指摘もある」という意味では事実なのでしょうが、そんなの「青少年に有害」なんていって「規制!規制!」と叫ぶヒステリーババアの戯言ですよ。その指摘自体はありえないほどに的外れ。

そもそも普段、その「工口チック」な描写とやらに、過剰に不快感を表すのがこの私です。『ウテナ』における暁生に対する私の嫌悪感をご存知ならわかると思いますけど。いや、このブログでも、少女漫画におけるベッドシーンに対する嫌悪感みたいな発言もしてるし、わかるか(汗)。

そんな私がですよ?
タルるート読んだけど、全然いやらしくなかったよ?
と、思っているわけですよ。
寧ろ、この純粋さを「いやらしい」と感じるその心が、汚れている。
汚れているから、「いやらしい」と思う。子供が読んでも、ちっともいやらしい気持ちにはならないと思うよ。いや、多かれ少なかれ、小学生も本丸みたいにスケベですよ?でもそれって、大人の淫らな欲とは違いますよ。
タルの魔法で自分の欲望に忠実になった本丸の行動が「いよなちゃんとちゅうキスマーク」でしょ。可愛いじゃないですか。大人の男性だったら、そんなもんじゃ済まないんじゃないんですか?けけけっ。
それをいっしょくたにしてしまうって事自体が、子供の頃の純粋さを忘れて情欲に走っている汚れた大人だという証左でしょうね。そんなやつは、いらないから。(←言ってる傍から暴力的発言撃沈道のりは長いぜ!悲しい
だいたい、女の人の裸くらいで猥褻あつかいですか?だったら女性の存在自体が猥褻ですか?「あんたは中世のキリスト教徒か何かですか?」って感じですよね(苦笑)。もしそれがヒスババの過剰反応だとして、寧ろ女性の立場でありながら、女性自身の存在をいやらしいものだとか汚らわしいものだと言って貶めているってことに気がつかないんですかねえ?
少なくとも私はちっともいやらしく感じなかったし、寧ろ浄化されてしまった(笑)。

・・・ただ、江川自身はいやらしい意図を持っていたと思う。それは感じる。私だからこそ感じるけど、普通は感じないでしょ。つまり、「読者サービス」というくだらない概念。

けどさ、『タル』における工口ってあくまで、「思春期(の入り口辺り)に特有の異性に対する興味」というレベルなんですよ。それは、普通の事だし。寧ろ「あ、あまずっぺーよ」って感じ(笑)。

大人になんてなりたくなかったなあ。

これを読んだ当時、私は未だ「子供」だったんですよ。それはつまり、「女性」でもなければ、「男性」でもなかった。
子供で良かったと思う。純粋に、この作品を受け留められたから。
「因果応報」を学んだ私は、純粋に、「クラスのみんなの為に」みたいな事を思っていられたし。
「分化」によって、心と体のバランスが崩れて、心が曇っていってしまったんだ。
他人を信じることができなくなり、殻に閉じこもった。
「自然との一体感」を失い、常に疎外感。周りの人間は勿論、大気さえも私を否定するかのような、居場所のなさ。
そして『タル』を忘れてしまう。
「世界の革命」までの数年間なんて、ほんと、闇の中というか、灰に埋もれていたというか(苦笑)。
少女漫画だけが、心の拠り所でした。


『タルるート』が大好きだったころっていうのは、私が一番輝いていた時期のように思えます。
今思えば、分化前の、一瞬の輝きでした。
そういう意味では『姫ちゃんのリボン』もまったく同じ存在だけど、少女漫画ゆえにずっと心に留めていられましたね。ずっと水沢めぐみファンでいられましたしね。勿論今も。

『タル』自体は素晴らしいけど、やはりその後の江川作品に対する嫌悪感が痛かったね。
中学の時クラスの小汚い男子が「『タルるート』工口いから好き」みたいな事いいやがって、内心、
ざけんじゃねえよ!!
って感じで、もしかしたらあれが私の男性嫌悪の原点だったりしてね[:ふぅ〜ん:]
それ以降はもちろん、完全に江川とは逆のベクトルです。それが正しかったとも思ってはいないけど、自己防衛としてそうするしかなかった。「自分の世界」から汚いものを排除しないと、狂ってしまいそうだったから。さっきの話とつながるんだけど、蒙昧な大人達が、そういうものをまるで「汚いこと」のように扱うので、幼い日の私は「ああ、そういう事って汚い事なんだ」と感じながら育った為に、こんな今がある訳ですよ。もしかして間違っていたかなあとは気付いているんだけど、自分自身の中で固定された価値観をシフトするのって容易でない。今まで汚いと感じていたものをきれいだと思いなおすのは難しいですよね。
でもたとえ「性」自体はきれいな存在だとしても、欲望そのものは汚いものです。
だからこそ、「吾唯足るを知る」という考えが重要な訳です。
無制限な欲望なんて、決して満たされない。それはとても虚しいことです。
『タルるート』はこんなにも、正しい道を示しているじゃないですか。戒めている。そういう本質を見ずに、表層的なセクシー描写ばかりとりあげて批判するなど、愚の骨頂。
一方、好意的な「ファン」などと自称する野郎どもも、私の中学のクラスメイトのように「工口だけが目的」みたいなゴミみたいな奴らも居るわけで、本当に悲しいし、ムナクソ悪いです。反吐が出ますね。こういう奴らっていうのは実は「過激な性描写に規制を!」と叫ぶヒスババと裏表な存在なんですよ。ある意味同一線上。一般的に「作品」というものは、作者の手を離れて鑑賞者が受け留めることによって完成するわけです。つまり、受け手の側が「どうやって受け留めるか」で、その作品の意味って変容してしまうんですね。つまり、この作品を単なる工口としか受け留められないという点で、こいつらは同じ穴のムジナであり、腐った感性の持ち主でしかないという事です。
azusite.air-nifty.com/blog/2006/11/post_11c0.html
ちょっとタルるートについてネットで検索してたんですが、↑のように、まったくもってふざけまくった感想しか抱けないゴミみたいな輩が実在している訳ですよ。吐き気がするわ。「引力ん」でこういうどうしようもない野郎どもを全員集めてまとめて強制収容所にでもぶちこみたいね。こういう奴が私と等しいだけの人権を有していること自体が理不尽だ。

これじゃ江川もひねくれるわな。多分、江川にとって一連のセクシーな表現は餌でしかない筈。江川自身もそういうのは好きそうだけど、それは決して目的ではない。伝えたいことが他にあって、あくまで餌としてばらまいてるだけなのに、餌だけ食いちぎって逃げられた、みたいな状態ですね。報われないね。

このように、『タルるート』によって理想的な行き方さえ学べたと思った私だったけど、現実ってのはとっても汚かった。吐き気のするような、汚い奴等。そういう奴等全て愛せるほどの度量を、寛容さを、結局持ち合わせてなかったんだよね。私自身は小さい人間のくせ、大きな理想を抱いたって、それはたしかに潰れてしまうかもしれないですけどね。
でもそうやって、私の心に深い闇が生じていったのは事実です。幽遊白書の仙水みたいになっていきましたからね(笑)。みんな死んじゃえばいいんだ。
色ボケ野郎は皆殺せ!!
(怒りによって、いつもの私にすっかり戻っているひやひや


チューリップ

作品についての詳細なレビュー。

さて気をとりなおして、ここからは作品そのものをもっと掘り下げて語って行きたいと思います。
ネタバレもあると思うので、御注意を。

この作品、基本は1話完結のドタバタコメディって感じです。
魔法のせいで街が破壊されることもしばしばですが、次の回では無かった事になっています。特にミモラが登場してからは破壊活動がひどくなり、江戸城宅もミモラによって全壊されて、結局そのエピソードでは直ってないのに、次の回以降は何事もなかったかのように元通りになっていたり。
或いは、タルの魔法のせいで南野小の生徒と教師がみんなハゲてしまう、という回があるんですが、その後いかにして髪が再生されたのかわかりません(汗)。
とにかく、「とんでもない状況になっちゃいました」みたいなオチが多くて、実際そのとんでもない状況をどうやってクリアしたのかについては触れないんですよね。ギャグ漫画としては、それで全然構わないのですが、『タルるート』って案外シリアスなストーリー展開が絡むこともあるので、その辺の辻褄が気になることはあります。つまり、作者の都合で、まるでなかったことになってしまう出来事もあれば、過去の出来事が因縁になることもあるんです。いわば、御都合主義ですね。タルるートが建物を壊したりして、将軍之介に「魔法で直しとけよ」って言われるんだけど、タルの魔法って十分しか効かないので、仮に魔法で直せたとしても、10分しかもたない筈。こういう部分につめの甘さを感じますね。

シリアスなストーリー展開、という意味においては、座剣邪寧蔵と本丸の拳法での勝負の辺が盛り上がる場面です。武闘会開いちゃうあたり、「ジャンプだなあ」って感じ(笑)。当時はね。ドラゴンボールやら幽遊白書やら、何かと武闘会開いてましたから(笑)。
基本1話完結でやっていけば、ドラえもんやサザエさんみたく、特に物語としては進展もないまま、ネタの続く限りはのらりくらりと続けられる訳ですよね。
しかし、武闘会での本丸と寧蔵の死闘、というストーリー的な盛り上がりが生じたので、読んでいる側としてはここでボルテージが最大になる。ここがピークなんですよ。本丸は山に篭って特訓して、これ以上なく強くなっているし。ここで死闘を繰り広げて盛り上がったところで、本丸が死んでしまう。ここが矢張り一番ピークだと思うんです。単行本(文庫ではなくて新書ね)でいえば12巻。
で、13巻で生き返る。生き返るまでの魔法の国でのエピソードはわりとおちゃらけた感じ。生き返られるかどうかのシリアスな場面にしてはね。でもそれが本来の『タルるート』らしさでもあるか。生き返った本丸はタルのことを忘れるんだけど、すぐに思い出してタルを再び魔法で呼び出す。伊代菜ともいい雰囲気だし、これでみんなハッピーおてんき
この13巻で終わってたら、とてもきれいな終わり方だったと思ってるんですよね。「感動の中でハッピーエンド」めでたしめでたしという感じで、すごくすっきりする。やっぱり、ストーリー展開上のピークが来ちゃったので、それが決着したら気持ち的に終わりなんですよね。でも、連載の終了は作者側が決められない。その事実が、いかに多くの名作を駄作へと変容させてしまってきたか、編集者はよくよく考える必要があるんじゃないか?ちっ
ここから更に連載を継続していくという事は、ジャンプの理論だと更に強大な敵を出さなければいけないことになるんですけど、江川はそれをしませんでしたね。「1話完結のドタバタギャグコメディ」という元のスタイルに再び戻して、のらりくらりと続けた感じだったかと。なので結局最後まで、それ以上の盛り上がりは感じなかったです。元のスタイルに戻ったと言えばそうなんだけど、その以前よりも読んでる側としてはボルテージが低いです。

或いは、作者自身のモチベーションが低下したんじゃないかと、勝手に推測しています。12、3巻の辺りって、作者自身もピークだったと思うんですよね。根拠としては、これ以降、絵がなんとなく雑になっている気がする、という点。まあ、連載を続けているうちにこなれてきて、絵がシンプルになる、という事はよくある話なのでそういう事なのかもしれませんが。でも個人的には、元々そんなに好みじゃない江川の絵とは言え、前半の絵の方がまだ好きでした。

また、話の中身としても、14巻なんかはタルとミモラとライバーが中心の話になっていくんですね。或いはわりとどうでもいいようなサブキャラの話とか。まあある意味今まで掘り下げてなかった分だけネタの宝庫ですからね、その辺のサブキャラは。そもそも主人公である本丸がかなり強くなっている分だけそれ以上の扱いに困るのかもしれないですよね。
ミモラやライバーなんてのは、かなりハチャメチャなキャラなので、ドタバタやるには動かしやすい。タルとかミモラとかは外見的に可愛いので、ある程度無茶なことやらかしても「可愛いから。」で許されますしね、読者的に。ライバーですら、可愛い子分をひきつれてますしv
中には大好きなエピソードもあるし、もし13巻で終わっていたらそれ以上は楽しめない訳で、21巻まで続いてくれて嬉しい、という気持ちもありますが、反面「蛇足」にしか思えない部分も多々ありますね。
好きなエピソードとしては、伊知川累がミモラの魔法で本丸と兄妹になる話が大好きなんですよ。その話はとても強く印象に残っていて、今回読み返している間も「あの話は何巻かなあ?」って楽しみにしていたくらい。あとは座剣邪寧代の話も好きです。キャラ自体が好きだからかな?
それと、すっかり忘れてたんだけど、本丸の誕生日のエピソードも今回読み返して「いい話だなあv」と思いました。

話題を戻しますが、13巻の最後で本丸と伊代菜がいい雰囲気になって、14巻の最初で一緒にスケートをしに行きます。「ラブ展開が盛り上がってきたかーラブラブ」と期待したら、ライバーが(一緒についてきたタルとミモラの)邪魔をしにやってきて、結局「本丸と伊代菜のデート」についてはぞんざいな扱いになってしまうんですノーノー
これ以降も、二人でデートしてるような場面も出てくる事は出てくるんですが、特にこれ以上、進展がないんですね。寧ろ、伊代菜の扱いがヒロインとしては随分軽くなっていくようにすら思えます。バレーボールのエピソードは良かったですけどね。
でも、本丸が死んだ時に伊代菜の本丸に対する気持ちが明らかになって、それ以上の進展って望めないんですよね、実際問題。少年漫画ですからね。やっぱり、「友達以上恋人未満」という関係が少年漫画の限界でもあり、またそれが醍醐味だとも思ってるんですよね。私はそういう、少年漫画に見られる、男女の初々しい関係が大好きですねてれちゃう っていうか寧ろ、少女漫画についてこそ、そういうのが好きなのですが。『姫ちゃんのリボン』の姫ちゃんと大地のような関係ニコニコ
「くっついたり別れたり」みたいのって、あんまり好きじゃないし。「想いが通じ合えてハッピーエンドラブ」ってのが大好きです。
そういう意味じゃやっぱり、『タルるート』における本丸と伊代菜のラブ展開って、12、3巻の部分がピークなんですよね。これは仕方ないかなあとも思うんですが、それでも精神的な絆を更に深める余地はあったと思うんですよね。そういう部分で、不満があります。

キャラクターについて。

そもそも、河合伊代菜ってヒロインとしてどうなんだろう?という疑問もあるのですよ。
本当に、「アイドル」って感じなんですよね。それは「クラスのアイドル」みたいな意味ではなくて、「単なる偶像」という意味で。まあ、芸能人の「アイドル」も同じようなもんだけど、中身がない。「みんなの憧れの的」というポジションが与えられてるだけで、キャラとして浅いような。まあ、少年漫画のヒロインなんてそんなものかもしれませんが。
伊予菜の場合はその上、我が強くないですからね。なんかもう、修道女みたいな、解脱してるような感じで。それが悪いとは言わないけど、あくまでキャラクターとしては、もう少し人間臭さが欲しいところです。
嫌いではないですよ、寧ろどちらかといえば好き。でもそれって、主人公である本丸の主観で描かれる場合が殆どである為に、「伊代菜ちゃん大好き」という本丸のフィルターが無意識のうちにかかってしまった結果のようにも思えるんですよね。
本丸がなんでそこまで伊代菜が好きかもよくわからない部分があって。結局その名の通り、かわいいだけの存在なのか?という疑問ですね。
本当に可愛いか?という点でも若干疑問なのですけどねたらーっ 顔はともかく、髪型がねえ(汗)。昔、ああいうボリュームのある髪型が流行っていたという事実は認識しています。しかし『タルるート』連載当時ってどうだったのかなあ? 私が中学生の頃も、センスの理解できないようなヘアスタイルが流行ってましたけどね(苦笑)。流行ってなんでも過ぎ去ってしまえば、「なんであんな変なのを喜んでいたのか(汗)」と思うものなのかもしれませんが、私は流行に振り回されるのが嫌いで独自の美意識だけを信じているので、十代の頃の流行については本当にセンスを疑っていました。最近やっと、世の中が私の美意識に近づいたので嬉しいのですが、いずれ過ぎ去ってしまうのでしょうか? 洋服とかフリフリのヒラヒラなのが大好きなんですけどね。って、話脱線しました(汗)。
性格だって、そんなに可愛くないですよね。主体性がないんですよ。周囲の意見に流されるし、意図的に同情を誘えばあっさり騙される。
将来の夢が「お嫁さん」ってのには引きましたね、正直(汗)。それだけの才覚を持ちながら、もっと主体的に動こうとしないのか!?みたいな。そもそも、ウテナファンでもある私なのでわかる人はわかってるでしょうが、「こうしてお姫様は王子様と結婚してお城で末永く幸せに暮らしましたとさ」みたいな価値観が大嫌いですからね。うーん、でも、少女漫画ファンとしては或いはそれって冷めてるかなあ?『りぼん』のような低年齢層向けだと特に「幸福な結婚が理想的な結末」みたいな読者の価値観もあったような話ですよね。でも私は小学生の時に既に、「結婚なんてしても幸せなんかにはなれない」と悟ってましたからね(笑)。「小学生は可愛いなあ」で済ませられないです(苦笑)。
でもそんな伊代菜も、後半では環境問題やら、世界の紛争地域の問題やらに興味を持って、「どうしたら世界人類が幸福に生きられるか」という課題に真剣に向き合っているような描写もあり、そういう部分で私の中での評価は高まりました。将来はきっと、世界の人々の為に活動するような素晴らしい人物になれるかもしれません。
・・・が、多少の浅さも感じます。。。まあ、小学生だからね。
つまり、「単なる偽善者」で終わっちゃうようなタイプにも見える。無気力(むきつとむ)という貧弱なキャラが出てきますが(大嫌いなキャラ)、こいつは「か細さを武器に」して、同情を誘ってしたたかに生きるようなとんでもない奴なんです。でも、伊代菜はあっさり騙される。特にそれが顕著なのが、終盤の「南野小で一番は誰だ決定戦」において、無気力は「動物を可愛がる」のが特技だなどと称して勝負に挑むんだけど、実際にはペットを虐待していて、逆にペットの蛇に巻きつかれてしめられてしまう。「ざまあみろイヒヒ」って場面なのに、伊代菜は「ムッキーくんかわいそう かわいがってた動物にしめられて」なんて寝言をほざきやがるんですよ。この時ほど伊代菜についてムカついたことはないかも。身勝手な飼い主によって動物達が苦しんでいる、という世の中の状況も把握できず、「弱者」を装う卑怯者の肩を持つ。あんたバカですか?
大切な問題への関心は高いけど、結局、視野が狭く、考えが浅い。純粋という名の無知によって、簡単に欺かれてしまう。
下手をすると、変な新興宗教にハマってしまうタイプですね。危ないです。

ウィキペディアでは伊代菜について「八方美人でやや我侭」という記述があるのですが、まさかそれ、個人の主観で言ってませんよねえ?ノーノー なんかウィキペディアにおけるこの作品の記述、或いは江川達也に関する記述って、随分批判的じゃないですか? 特定の個人(即ちアンチ)の主観に基づいてるとしか思えないんだけど。
伊代菜は博愛主義者なんですよ。そこのところ、私としては伊予菜の一番の魅力なので、履き違えないで欲しいです。八方美人っていうのは、たとえ嫌いな相手でも調子よくいい顔するような人の事だと思います。伊代菜の場合、本気で「みんな大好きv」なんですよ。それはとても尊いことだ。私みたいな心の狭い人間にはとても真似できません。でもそういうのを、「ありえない」だとかネガティブに受け留める人間ってのは、私よりももっと狭量なんですね。小さすぎるよ?
あと、我侭っていうのは、本丸に対してだけですよね。
じゃば夫みたいなしょうもない奴にも甘い。それでいて、本丸には割りと厳しい。当初、なんで?って思ってたけど、考えてみればそれって、「本丸の事が大好きだから」ですよね。
「博愛」っていうのは一歩間違えば「愛」なんです。「みんな好き」ってのは「みんなどうでもいい」と紙一重です。執着がないんですよね。原子力(はらこつとむ)や、じゃば夫ってのは、伊代菜にとっては割りとどうでもいい存在。みんな仲良くしてくれてれば、あとはどうでもいい。でも、本丸だけは特別。執着してますよね、本丸にだけは。本丸に対して厳しい態度をとるのも、「自分の好きな男の子にはちゃんとしていて欲しい」みたいな想いの表れだと思うんです。まあ、自分の理想を相手に押し付けるってのは、褒められた事ではないのですが、でも多かれ少なかれ人間ってのはそういう部分ありますよね。まるで聖人のような伊代菜が、本丸に対してだけは普通の女の子みたいになる。可愛いじゃないですかv
あと、「本丸だけは自分の話をちゃんと聞いてくれる」という事を伊代菜がよくわかっている、というのもあるかもしれませんね。まあ、それに甘える、というのも褒められたことでないけど、それだけ本丸の事を信頼しているようには思える。
原子やじゃば夫も伊代菜のことが好きみたいだけど、こいつらって非常に身勝手。伊代菜がいっくら「みんなと仲良く」って言っても聞く耳持ちやしない。特にじゃば夫なんか、本丸に殴りかかった時に伊代菜が間に入ったことがあるんだけど、そんな伊代菜を乱暴に突き飛ばしやがったんだぜ?好きな女の子に暴力振るうなんて下の下の下衆野郎です。そんなDV野郎は既に論外ですが、原子でさえ伊代菜がどういう性格なのかちっともわかってない。「女は強い男に憧れる」とかいって暴力に走る。すぐに暴力に訴えるという時点で、「やさしい人」が好きな伊代菜からしたら、アウトオブ眼中。本丸からしたら、はなっから「恋のライバル」ですらない。

全体的に伊代菜の本丸に対する態度って、好意的であることには間違いないんだけど、それが単に「お友達として」なのかどうかよくわからない部分はあります。でも4巻の、りあねーちゃん(タルの姉)も一緒にボウリングに行く話で、りあねーちゃんにでれでれしまくりの本丸に対して、伊代菜がヤキモチやきますよね。この時ほどはっきり本丸に対する執着心を露にしたことってない気がしますよ。「へえー!?そうだったんだあ!!ポッ」みたいに思いましたし、「ちょっと人間出来すぎ」って感じの伊代菜が、人並みの感情を見せたことで、随分魅力的に感じました。
終盤ではタルの魔法によって正直になったりもするのですが、それはあくまで魔法による行動なのでねえ。最初の頃と、終盤とでは、伊代菜のキャラに変化があるようにも思えるんですよね。或いは作者自身がきちっと煮詰めてなかったんじゃないかという気もする(汗)。終盤の伊代菜だったら、あんなにヤキモチ焼いたりしないんじゃないかなあ? どこであんなに達観しちゃったんだろう?(苦笑)
まあ、あくまでキャラなんてフィクションの存在だから、伊代菜がどうこういうより、「作者が何を意図していたんだろう?」というのが実のところです。作者は伊代菜についてどういう意図を持っていたのか?
どうもね、キャラとしてきちっと確立した上で「このキャラならこういう場面ではこうするだろうな」というように動かしている、というよりは、場当たり的に、その場その場で作者の都合に合わせて動かしてるように思えるんですよ。一貫性を感じないというか。
伊代菜が本丸に対してあんまり甘いと、話として面白くない。寧ろ、本丸にとっては不本意な言動を伊代菜にさせる事で本丸が困った方が面白い。なんだかそんな、作者の都合で伊代菜が動いてる気がしてならないんですよね。伊代菜についてはキャラの魅力を前面に出そうって意思がないんじゃないか?寧ろただの駒扱いな気がしてます。そもそも江川って、この手の大人しいキャラを扱うのって上手くないと思う。
『タルるート』のキャラの中で、伊代菜の人気ってどうだったんだろう?ジャンプで人気投票とかあったのかなあ?伊代菜ってあんまり人気なさそうな気もする。特に同性ウケ悪そう。

女の子キャラとしては、寧ろ座剣邪寧代の方が魅力的なんじゃないかという気がしています。結構印象に強く残っていたキャラだったので、今回読み返してみたら思ったより出番が少なくてびっくりしたほど。
今でいうところの、「ツンデレ」ってやつですよね。別に私はツンデレ好きだとか言わないですけど。でも、いつもニコニコしてる伊代菜の笑顔と、いつもはツンツンしてる寧代の笑顔、明らかに後者の方が何倍も魅力的に感じたのは、事実です。
そして何より、9巻で寧代が最初に登場する回、本丸が寧代に初めて会って胸をときめかすんですよねときめき
本丸って結構「きれいな女の人」にはすぐにでれでれしちゃうので、一見節操がないようにも見えますが、それとこれとは別です。特にりあねーちゃんにはかなりでれでれしますけど、前述のボウリングの話で、伊代菜の前なのにりあねーちゃんに平気ででれでれしちゃう、という辺り「りあねーちゃんは自分にとって特別な人ではない」と本丸が思っている証拠だと思います。
でも、寧代の場合は違うんですよ。寧代にときめいてしまったことについて、伊代菜に対して後ろめたい気持ちになっている。
「三角関係か!?てれちゃう」みたいな期待もあったのですが・・・しかし結局、「いいお友達」で終わりましたね。結局それ以降、本丸が寧代の事を特別に意識するような場面が描かれていません。だったら、最初のあれはなんだったんでしょう? どうも江川は行き当たりばったりで話進めてる気がしてならない(汗)。
一方の寧代ですが、本丸の事を特別想っている、という素振りはまったくありませんね。好意的なのは確かなのですが、恋愛感情とかではないと思います。しかし、クラスメイトの中では、最終的に本丸の一番の理解者というポジションになった気がします。終盤で、本丸が座剣邪寧蔵ともう一度闘うと言い出した時、伊代菜はそんな本丸を理解できずにいますが、寧代はそんな伊代菜に「人の心がわかるやさしい男って事はかわってないよ」って言うんですよね。あのツッパっていた寧代がですよ?ここ、好きな場面だったりしますv でも伊代菜に対してさらっとそんなことが言えちゃう辺り、寧代が伊代菜を恋敵だとは思っていない(つまり本丸に特別な感情は抱いていない)っていう証拠でもあるんですよね。

伊知川累についても「ツンデレ」扱いする人がいますが、この子の場合は他人(というか本丸)に意地悪をして楽しんでいるだけなので、「ツンツン」とはちょっと違う気がします。まあ、アキバ系用語の定義についていちいち論じるのもバカらしいので、どうでもいいし、まあ、ツンデレって事でもいいですけど。
伊知川の場合は、「本丸に想いを寄せている」というのがキャラとしての魅力になっているかと思います。それがなければただの意地悪キャラ、すごくいやな奴、で終わってますね。根本的に伊代菜とは価値観がまったく違うタイプで、この二人がよく友達やってられるなあ、なんてどうでもいい事も思ってしまいます(苦笑)。しかも恋のライバルでもあるのに。

最終盤、本丸たちが中学生になって、3年の早坂翔子という女が出てくるんですが、これがなんで出てきたのか全然わからない。最後の最後になって、伊代菜の恋敵を登場させる必要があったのだろうかと。本丸が3年にボコられるきっかけとしては機能してるんだけど、だからといって本丸にキスする必要がどこにあったのだろう?こればっかりはどうしても腑に落ちないです。蛇足としか思えない。江川に問い詰めたい(苦笑)。なぜ、伊代菜とラブラブで終わらせなかったのか?
もしかして、作者本人は連載をまだ続けるつもりでいたのかなあ?

好きなキャラの話をするなら、原子が好きですねvって、解り易い趣味してますかねえ?(笑)
あくまで、悪役として好きですけどね。まあ、少年漫画で、主人公のライバルでそれも美形キャラとなると、必然的に「いやな奴」なんですね(汗)。いや、ほんとに本丸にたいしてかなりひどいこともしてるし、微妙に思うところもあります(苦笑)。
ただ、「くまのぬいぐるみと一緒じゃないと眠れない」という設定があってですね、これがドツボなんですわてれちゃう 更に「世界Jr.○○チャンピオン」「世界ちびっこ○○コンテスト審査員特別賞」みたいな、一種の検定オタクの類だったりと、キャラがたってるんですよね。
アニメで声が堀川さんだったのもかなり大きいと思いますね。堀川さんは悪役があうんですよ、これがまた。ラインハルトとか。(←熱烈なヤンのファンな為、ラインハルトを悪役だと思ってる)
アニメの原子の方が、原作よりも結構愉快でお茶目なところがあるんですが、それこそまさに堀川さんの影響なんじゃないかという気がしています(笑)。どの程度かはわからないけど、おそらくアドリブが入ってるんじゃないかと思うし。


『タルるート』への批判に対する反論。


さて、『まじかる☆タルるートくん』が『ドラえもん』のアンチテーゼであるということは、作者自身が明かしておりまして、これが原因で偏狭なドラえもんファン(ただの愚鈍なオタク)から江川自身が叩かれるという、悲しい事態に発展したりという事もあったようです、残念な事に。
私は、この作品以前から、『ドラえもん』は嫌いです。何より、『オバケのQ太郎』が小さい頃大好きだったんですね。なのに、世間ではドラの方がもてはやされてるような状況に疑問を抱いたのが最初。
小学校高学年にもなれば、「科学文明は決して人類を幸福になんか出来ない」という事を悟ることが出来るので、完全にアンチになってましたね。
特に嫌いなのがのび太です。ジャイアンにいじめられてはドラえもんに泣いてすがって道具を出してもらい報復を行う。ろくな人間じゃないですよね。単純にいじめを回避するだけなら、ドラえもんの道具で幾らでも有効な方法はあると思うんですよ、あくまで専守防衛に努めるための。でものび太は報復することばかり考えてる。報復するからまたいじめられる。これを暴力の連鎖と言うんです。ドラえもんに泣いてすがるのも、同情を引く為です。「秘密の道具」という「力」を得たのび太がいかに傍若無人な振る舞いにでるか。
『タル』の無気力って、のび太がモデルのように思ってます。そっくり。同情を誘ってタルに魔法のアイテムを出させ、周りの奴等に復讐をする。しかもコイツの場合、あまりにも目立たない為に寧ろ普段そんなにいじめにはあってないのに、ちょっと力を得ると、すぐに暴力を振るう。それでいて10分たって魔法が切れるとすぐに「弱者」を演じて同情を誘う。そんなのにあっさり騙されるのは伊代菜くらいですが。のび太よりもよっぽど性質わるいですけどね。
でものび太にしても、本当に腹黒いガキです。こういう奴は、「いじめられて当然」としか思えない。現実のいじめ問題で「いじめられる側にも問題がある」という論理が批判されることがよくあります。しかしどうしても、のび太のことを思い出すと「たしかにいじめられる奴に問題があるな」って思えて仕方ありません。勿論そんなの間違ってますよ?錯覚です。つまりはいかに『ドラえもん』が教育上よろしくないかという事なんです。有害図書に指定すべきですね(笑)。(←皮肉ですよ?わかれよなイヒヒ

寧ろ「アンチテーゼではなく単なる模倣ではないか」とまで言われちゃってますけど、私はそれはどうかな?と思いますね。だってさ、アンチテーゼとして提示するには、まず同じ枠組みを構築する必要ってあるんじゃないんですか?ある程度類似した状況を提示した上で、差異を示す。方法論としてまったく間違ってないと思うのですが。まあ、『ドラえもん』なんかと比べて『タルるート』の方がはるかに素晴らしい内容のある作品である、という事を先ず理解できない限りは、何故タルがドラのアンチテーゼなのかもまったく理解できないのでしょうねー(笑)。「ファン」を自認してるような奴が「お色気が目当て。中身はでたらめ。」なんて頭の悪い感想を寄せている限りは、絶望的ですね[:がく〜:] まあ、どの作品にも、作品の本質をちっとも理解できない頭の悪いファンというものはつきものですけどね。『ウテナ』をレズアニメ呼ばわりして喜んでる奴とか。しかし、『タルるート』はこんなにもファンに恵まれてないのかと思うと、本当に残念でならないね。
また、江川自身も後年「結局ドラえもんの模倣になってしまった」みたいな発言をしているらしいです。情報の出所忘れたけど。まあ、それについても思い当たる節はありますね。江川自身がどういうつもりかは私にはわからないけどさ。
それはつまり、あくまで、商業誌なので。教育的な内容よりも、娯楽性を優先させる必要はあったのだろうと思われます。特に、読者アンケート至上主義のジャンプですからね(汗)。人気なければあっさり切られる世界です。そして、『ドラえもん』が商業的に成功しているという事実は疑いようもないでしょう。それが良い事か悪い事かは別として。結局、ある程度商業的に成功しようと思うなら、ドラの悪いところを倣うのも仕方なかった、という事でしょうか? 具体的には、「本丸がタルの魔法に味をしめて、調子に乗って悪戯する」という展開が『ドラえもん』の悪しき模倣のように思えます。でも、いつもそんなのばっかじゃないですからね。たまにそういう事もあった、というだけ。
まあ、回によって、本当にくっだらない、単なる娯楽作品、って時もあれば、本当にためになる深い作品、って時もあるんですよ。回ごとのギャップが大きいのも、『タルるート』のひとつの特徴じゃないですか?

まあとにかくですね、『ドラえもん』みたいな科学文明に浸りきった世界に、未来はない訳ですよ、現実問題。機械文明はたしかに生活を便利にしたけど、人々を堕落させた上に、地球環境を破壊してきた。現実問題として、この星の環境は既に瀕死状態崖っぷちまできてしまっています。
それに対して、タルるートの魔法はとっても素敵。自然と一体なんです。水や空気にも心があって、人間も他の動物たちも、みんな繋がりあって、廻り続けているのが、世界なんですね。自分自身をそこに一体化させることで、幸福を手に出来る。思いやりと共存の思想
のび太は怠惰で本丸は努力家とかそんなこと置いといても、この事だけで充分に「『ドラえもん』に対するアンチテーゼ」としての意義があるのだと、私は確信しています。

あと、ウィキペディアによると、『オバQ』からの影響が見られるそうなのだけど、『オバQ』ファンとして、まったく思い当たるものがありません。まさか、じゃば夫がちょっとオバQっぽいとか、それくらいの事?
あ り え な い
いやほんと、両者のファンとしては非常に不本意です。ライバーがドロンパの影響って書いてあるけど、
ど こ が だ よ ? びっくり
ライバーとドロンパなんか全然違うじゃんかよ。ドロンパ好きとして、理解できない話だ。寧ろ、性格的には原子の方がドロンパには近いぞ? わけわかんねーこというなよなー。しかも、「オバケのQ太郎のライバルキャラであるドロンパに影響している部分がある。」って、逆だろ?まともな国語力もない奴のいう事真に受けるのもバカげてるか(苦笑)。

ウィキペディアにしろ、個人のブログにしろ、ろくな事言わないから、思わず毒づいちゃうじゃんかよ。折角、感動して、いい気分で感想書こうと思ったのにさあ。
ほんとに、アンチと頭の悪い自称ファンしか存在してないように思えてきた悲しい
もしも『タルるート』に対して私と想いを共有できる人がいてくれたら、今なら無条件で友達になれますわーい
全力でつけこめ!(は?)


アニメについて。


さて、アニメについての話ももうちょっとしておきましょう。
原作の漫画は一回あたり18ページほどですが、アニメは一回あたり20分強(主題歌、次回予告等を差し引いて)ですよね。アニメ1回分としては、18ページというのはかなり少ないんです。寧ろドラえもんみたく、CM挿んで2本立てにしたほうが丁度いい位です。しかし、タルるートの場合は、漫画1回分をアニメ1回分というケースが多いです。原作2回分を1話にまとめるケースもありますけどね。
そうなると矢張り、尺が余ってしまいます。そのせいか、なんだか間延びしてしまうようなカットやシーンも目に付くこともありますが、さすがにそれも限界がある。

なので、アニメ独自の展開を盛り込むことになります。これが実は、とてもいいんですよラッキー
原作では「ちょっと展開あっさりすぎやしないか?」みたいに思う部分もあったりしてて、そういうのをじっくり見せてくれますからね。
特に、本丸と伊代菜がラブラブラブなシーンが付加される場合が多くて、そういうのこそ大好きな私としてはもうほんと嬉しい訳ですねてれちゃうロマンチックなムードにうっとりラブラブ・・・みたいなねポッ
なので、アニメはアニメで、クオリティに不満があったりはしますけど、原作とはまた違った良さがあるんですね。
だいたい、本来なら原作2回分をアニメ1回分にして丁度いいくらいとはいえ、それをやるとすぐに消化されてしまいあっという間に原作に追いついてしまいますよね。大抵の原作もののアニメの場合、そういう時ってアニメ独自のエピソードを勝手に作ってしまいますよね。でも原作ファンとしては結構不満を感じるエピソードがあったりする訳です。蛇足と言うか。特に『名探偵コナン』のアニメ独自の話ってひどいですよね。脚本がひどすぎる。
それに対して、タルるートの場合は、あくまで原作にあるエピソードをベースにしているので、原作を逸脱してしまう(or原作の足元にも及ばない)リスクというのはかなり低い訳です。そういう意味において、漫画原作のアニメ作品としては、実に良い方法だったと思いますね。その点、非常に高く評価しています。

声優については、好きな人が結構出ていて、そういう意味でもとても興味深い作品。特に本丸役の高山みなみさんと原子役の堀川亮さんが大好きで、当時私の好きな声優ベスト5には入ってたくらいの存在。
そしてなんと言ってもこの二人、これ以降には青山剛昌作品でも(役の上で)ライバル同士であり続けるんですよね。『剣勇伝説YAIBA』の鉄刃(くろがねやいば)と鬼丸猛、『名探偵コナン』の江戸川コナンと服部平次、というようにね。まあ、厳密に言えば、服部平次のライバルは工藤新一ですけどね(汗)。しかも、当初こそ工藤をライバル視していた平次も、今や「良いお友達」と化している感もあり(汗)、寧ろコナンのライバルはキッド様のようにも思えますがたらーっ
とにかくですね、私の好きな作品で続けてライバル関係ってのもすごい偶然だなって思いまして。
他には、大綾真理先生役の鶴ひろみさん、江戸城将軍之介役の堀秀行さんが好きですね。
あと、座剣邪寧蔵は鈴置洋孝さんだったのかあ。この方も好きでしたよ。惜しい人を亡くしましたよねポロリ
河合伊代菜の役は冬馬由美さんです。名前はよく知ってるわりに、『ぼく地球』の輪くんくらいしか思い当たらないな。っていうかイメージ違いすぎてびっくり。あ、そういえばつい最近、『xxxHOLiC◆継』に女郎蜘蛛の役で出てましたね。
伊知川累と座剣邪寧代のツンデレ組が、それぞれ杉山佳寿子さん堀江美都子さんと、ベテランってのも面白いですね。
タルるートはもちろんTARAKOさんです。主題歌も歌ってます。高山みなみさんにしろ、結構歌える人が多いなあって感じ。挿入かとか結構歌ってるんですね、高山さんも。当時はそういう部分まで気にしてませんでした。CD買おうかどうか店頭で迷った記憶はあるんですが、結局買わなかったんですよね(汗)。ボーカリストとしての高山みなみさんについてはTWO-MIXで初めて認知しました。

アニメーション制作は東映です。
東映と言えば、当時は幾原邦彦様が在籍なさっておりましたvvv
劇場版で監督助手をなさっています。タルの劇場版は全部で三作ありますが、その一番最初の作品。1991年。
幾原様のかかわりは残念ながらこれのみです。劇場版は観た事なかったのですが、ウテナの影響で幾原さんの関わった作品をあれこれ漁り始めた一環として、この劇場版をレンタルで観たものです(笑)。あの時はウテナのことしか頭になかったなあ(汗)。
東映の頃の幾原さんのお仕事は、朝日の土曜夜7時枠でしたよね。日曜朝8時半枠には関わってないです。東映のそこら辺のスタッフの割り振りって面白いね。

あと、スタッフに関して特筆すべきは、江口寿志氏が作画監督として参加しているって事くらいかな?



さて長々と語ってまいりましたが(滝汗)。

単行本21巻に「また何年か後にどこかで続きを描くつもりです。」って書いてあって、私はずっと待ち続けていたのですが!?最終話の最後も「つづく」になってるし。
むむむむむーーーモゴモゴ

私、待ってるから!!

東京大学物語か何かで、タルが出てきたことありましたよね?或いは別の作品かな?検索してみてもわからなかったけど、まさかあれがその「続き」だなんて言わないですよね?
っていうかほんと、どこにそれ載ってたっけなあ?わかる人いたら教えてください。

posted by: イチヰ | 漫画・その他 | 20:56 | comments(10) | trackbacks(0) | - |

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コメント
 
2008/10/15 7:34 AM
Posted by: またー
はじめまして。
ネットサーフィンしながら、ここに、ふらふらと行き着いたのですが、
タルるートについて、ここまで熱く語ってくれる方がいる事に驚き、感激しています。
(イチヰ様はウテナが1番のようですが:汗)
確かに、不純な動機でタルのファンぶっている方が、私の身近にもいました。
そんな奴はしんj・・・おっとっと、折角、非暴力を語って下さったのにorz
でも私は、タルはそんなエロい物に走ったものじゃない、と言ってやりましたよ!それ以上は何言ってしまうかわからないので止めましたが(汗)それに、これを言ったから彼がわかってくれるとは、あまり思いませんでした。実際そうでしたorz
でも、それで良いんじゃないかな、彼も私もあの時、子供だった...
話が変な方向へ(汗)
まぁとにかく、イチヰ様のようなファンに会えたという事だけで、私は感激していたのです。
長文&乱文でスミマセンでしたm(__)m

最後に、「タルるート大好き!」
2008/10/16 2:50 AM
Posted by: イチヰ
またーさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
理解あるファンの方に、私の感想を読んで頂けるなんて本当に嬉しい限りです。
ネットで検索してみたって、不純な動機の輩かアンチにしか廻りあわず、なかなかに理不尽な思いだったので。そんな怒りは本文中にぶちまけてありますが(滝汗)。
なのでほんとに、見つけてくれてありがとうって思いでいっぱいですよ。私こそ、またーさんのような方にお越し頂けて本当に感激です。

ほんとにね、わからない奴に何言ったって馬耳東風だろうとは思うし。だからこんなに熱く語ってみても、「所詮自己満足になっちゃうのかなあ?」みたいな虚しさもどこかにあったので、こういうコメントを頂けるのって何よりなんですよ。

本当にありがとうございました!
2014/01/11 6:30 PM
Posted by: リュウセイ
久しぶりに(10年以上ぶり)タルるートくんを読みました。正直エンディングに関しては嫌な思い出しかなく、今回久しぶりに読んでやっぱり嫌な気持ちになりました。この嫌な気持ちの落とし所を探していて、このエントリーに辿り着きました。
エントリーを読んで、あぁ自分は10年以上たっても非暴力の素晴らしさを理解出来ていないんだなと、残念な気持ちになりました。
まぁ、中学生編に関して言えばどう読んでも納得がいくわけないのですが…非暴力だからって、殴られ続ける必要はないと思うし。いよなとの関係も、むしろ遠ざかっているので(当たり前か…
纏まりがなくなってきてしまいましたが、このエントリーを読んで私のタルるートくんに対する、読了後の嫌な気分は晴れました。感謝しています。
2014/01/11 8:57 PM
Posted by: イチヰ
リュウセイさん、コメントありがとうございます。
私の記事でその「嫌な気持ち」が晴れてくれたらな幸いです。

私も正直、中学生編に対しては必ずしも好意的には思ってません。非暴力という面を否定的に捉えてはいないので、リュウセイさんとは理由が違うかもしれませんが。
一番の理由は、作風がガラっと変わってしまった点です。それまでのこの作品の良さみたいなものをぶち壊してる感はどうしても否めません。

しかし、作者自身に作品を終わりにする決定権がないという漫画業界の慣習から考えれば、なかなか気持ちよく完結するという事の方が難しいなと思いますし、そういう意味では作者に対しては批判的な気持ちはないです。(ジャンプ編集部に対してはあります苦笑)
まあ問題は、中学生編が不評で打ち切られたのか、終了が決まってから中学生編を描いたのか、という点なのですが。
いずれにしても完結を前にして作者がそれまで抑えていたものを解放してしまったんだろうな、っていうのは感じます。それが作品としてのバランスを最後に損ねてしまった、っていうのはあったと思います。
2014/03/22 11:43 PM
Posted by: たかうじ
最後まで読ませていただきました。

ありがとうございました。
自分と同じくらいタルるートが好きな方がいてくださってうれしいです。
2014/03/24 8:50 PM
Posted by: イチヰ
たかうじさん、コメントありがとうございます。

年月が過ぎてもこうしてこの作品が好きな方から反応を頂けるのは嬉しいですね。
2015/04/27 1:08 PM
Posted by: リュウタ
こんにちは初めまして
寛永通宝のクッキーを食べていて
タルルートの最後に吾なんたら足るるってにがあったなあと思い出し調べたらここに辿りつきました(笑)
こんなに熱く語れるのが羨ましいです…
私もウテナもタルルート大好きです
すっごい大好きですが小学生の頃でした
大好きな気持ちの感情だけが残っているだけで
何故この作品が自分は大好きなのか?
って部分が今まで自分自身で考えても理解が来ませんでしたが、ここに来て少しだけ好きな理由がわかった気がします
何故理解したのかも上手く説明できませんが(笑)
タルルートに関しては本当最初はエロ目的で見ていたのは否め無いです。ただ1回目の武道会以降からはまった記憶があります
原子力も最後の最後の戦いで大好きになりました
それまでは割と嫌いな奴でした(笑)
中学生編は割と好きでした
と言うより感動して泣いた記憶があります
あんまりいよなと本丸との関係性には興味なかったからかもしれません
上手く説明ができないのがもどかしいです

私も続編を今までずーと待ってます(笑)
ただ今の江川さんに書けるかどうか…
このまま完結した方が良いと思ってますが
なんとも複雑な気持ちです
つづくの文字はズルいですよね!

長文失礼しました
また読み返してみます!
2015/04/29 3:41 AM
Posted by: イチヰ
リュウタさん、コメントありがとうございます。
随分意外なところから辿り着いてこられたのですね(笑)。

原子は実際、いやな奴だとは思います・・・って本文で述べてた(←忘れてた)。
主人公のライバルキャラって、最初すごくいやな奴なんだけど、最終的には主人公と認め合う関係になってて「実は意外といい奴」で終わるのって王道パターンというか、セオリーですよね。

中学生編がお好きというのは少々意外にも思いました。いや、もちろん好みは人それぞれでいいのですが、好き嫌いは別としても作風が突然ガラッと変わってしまうというのは、一般的にはなかなか容易に受け入れ難いものではないかと思いまして。
その後『BE FREE』なども読んで寧ろこっちが本来の江川達也の作風だと知ることになるのですが。

正直、今の江川に対してはもうタルの続編を期待する気持ちがないです。この頃の私にはまだあったんですね(遠い目)
もちろん私の気持ちが冷めたのではなく、ただ今の江川ではもう描けないだろうと。なんていうか、当時はディオスだったけど今はもう世界の果てっていうか(笑)。
まあそれでもまだ、今言った事をいい意味で裏切って欲しいなってのはある・・・かなあ?(苦笑)
いい思い出のままで永遠に未完のままの方がいいかも。
2015/04/29 11:58 AM
Posted by: リュウタ
そうですね…
中学生編が好きというか
中学生編のような作品が好きといった方が良いと思います(笑)
ただ中学生編見たいのがずっと続くものだったらそれはそれで見てないと思いますがw

本丸のタルへの思い
タルの本丸への思い
思い出すだけで泣けてきます
中盤以降この感情だけで見てた気がします
男なのにイヨナちゃんには興味なかった(笑)
その為私にとっては中学生編があったからこそ単なるギャグ漫画から最高の漫画に昇格したのだと思います

ここまでの感想はまだ見返してない今の私の、想像と妄想だけの古き良き思い出からの感想なので、見返すとこんなものだったのかと落胆するかもです(^◇^;)

あと中学生編が好きなのが珍しいのは私にもわかっています(笑)
当時の私の周りからも戸惑いとブーイングの嵐はすごかったですし(笑)
2015/04/30 8:36 PM
Posted by: イチヰ
リュウタさんの仰る事も解る気はします。
ただやっぱりなんだかんだいっても「予定調和で大団円」みたいな結末はみんな大好きというか、期待されているものだと思います。だからこそ思いもしない展開に「裏切られた」とさえ感じる。客観的に考えれば、結局は読者の勝手な思い込みに過ぎないんですけどね。
私自身、子供だったからなーっていうのはあります。ウテナ観てた頃以降の自分だったら、中学生編も受け入れてたかも知れないなと、このコメントのやりとりの中で思い至りました。というのも、タルるートってファンタジーだと思うんですが(魔法使いの話なので)、中学生編ってファンタジーとの決別だと思うんですね。タルの魔法に頼らずに自分でなんとかしようと。居心地のいいファンタジーから急に現実にもどされたからこそ読者はついていけなかったと思うけど。ただそんな、自分の足で歩き始めた本丸が、鳳学園及び暁生と決別して外の世界へと足を踏み出したアンシーと、なんか重なるような気もしてきて。
余談かもですが、『東京大学物語』の夢オチに対しても結構批判的なものはあったと思うけど、私は結構高く評価してたんですよね。矢張りウテナ辺りから大分、受け止めが柔軟になったというか(笑)。

寧ろ小学生?で中学生編を好意的に受け止められるというリュウタさんの柔軟さがすごい気がしてきました。

大人になって改めて読めば見方も変わる、みたいな事はなかったですね。一番多感な時期に大好きだった作品なので、思い出を反芻しちゃうというか、あの頃の自分に戻って読んでしまうので。









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