<< 男装女子 | main |

劇場版『魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』

昨夜、AbemaTVで劇場版まどマギ『叛逆の物語』を観ました。

私は今回この映画を初めて観ました。「地元の映画館でやってなかった」っていうのはもちろんあります。『けいおん!』の劇場版も観に行かなかったのだから、まどマギを観てないのは当然と言えば当然。好きなアニメの劇場版は東京へ行ってでも観た、なんてのは大学生の時の話。レンタルという手もありますけど、そう言えばここ5年くらいレンタルショップに行ってない(観る暇がないので)。

そもそも私にとってのまどマギのピークはTVシリーズ10話でしたから。最終回が特に気に入らなかったという事もないので、『コードギアス叛逆のルルーシュ』みたいに一気に冷めたという事もなかったですが、一方で特に気に入った結末でもなかったので、緩やかに熱量は下降を辿って、2年後の劇場版公開時には結構冷めてた、って感じですかね。

 

今回視聴した理由は、タイミングとしか言いようがない。

丁度、NHKで『アニメ100』っていうのをやっていて。日本のアニメ100周年という事で、視聴者投票でベスト100を選ぶという企画ですね。因みにウテナは30位。その話もブログで記事にしようかどうしようかとは思っていたのですが。

それはそれとして、まどマギが結構上位に入っていて、自分の中では既に過去の存在になっていただけに、逆に当時の感覚みたいなのが甦ってしまって、ふいにね。ほむら大好きだったよなとか。で、まどマギ劇場版に関する番組ゲストのコメント聞いたら、なんか『叛逆の物語』観なくちゃいけない気になってしまって。丁度、AbemaTVでまどマギやるっていうCMをTVでやっていたなと。ほんと、絶妙のタイミング。

 

という訳で、感想いきます。ネタバレ有です。

 

まずは、やっぱりどうしても「ウテナっぽい」とは思ってしまいます。ヴィジュアル面で。もちろん全面的に褒め言葉です。ここまで美意識にこだわった作品ていうのはそうそうないですからね。

 

ウテナっぽいかどうかはおいとくとしても、作品のクオリティだけでも観る価値のある作品です。矢張り劇団イヌカレーが素晴らしい。商業アニメとこういうアートアニメが融合して成功するなんて殆ど奇跡ですよ。映画史に残ると言って過言でないと思う。新境地を切り開いたと言っていい。後に続くのが出てきて欲しいけど。ウテナの時も同じ事思っててでも結局続きませんでしたけどね。まあ、その延長線上にこのまどマギがあると言ってもいいけど。

 

最近はもう、シャフトと新房監督の演出に辟易していて、3月のライオンも観るのやめたし、物語シリーズも観なくなってしまいました。それでも、この『叛逆の物語』に限ってはそういうのがなかった。何が違うかといえば、やっぱりイヌカレーかなと。演出的には意外と抑制が効いてると思うんです、他のシャフト作品と比べると。ほかのはもっとけれんみがある。最初こそそういうのが好ましく思っていたけど、いっつもいっつもワンパターンでそれやられると食傷になります。うんざりします。でも、まどマギの場合はイヌカレーという別のスパイスで味付けしてあって、これがまた強烈なやつなので、いけるんでしょうね。十作くらい続けてイヌカレーやられたらうんざりするもかもしれないけど。

まあ、そんな感じで、観ている間は「映画館で観たかったな」という後悔の念も多少湧きました。まあ、ああいう結末なので、映画館を出る頃はクオリティの話なんか吹き飛んで、複雑な気持ちになっていたことでしょうけど。

 

 

その、ストーリーですが。

前半はほんと「ビューティフル・ドリーマーだな」と思って観てました。別に、パクリだとかそういう批判するつもりはまったくありません。ただ、純粋に正直な感想として。押井ファンがこれ観てそう思わないとしたらモグリですよ。ただ、それを出発点としても、どこへ着地するかが問題な訳で。つまり結果的にはこれはビューティフル・ドリーマーではない。・・・のだけれど、「自分にとって都合のいい夢をずっと見ていたいだけの話」という点ではやっぱりビューティフル・ドリーマーかな。でもその夢の中身が全然違うから全然違う物語になるし、言ってみればこの世の作品の多くはそういう「都合のいい見たい夢」を具現化したものだと言っても過言ではないので、それはもう『物語』と銘打つものの普遍的な部分だとも言える。そういう意味で「これはビューティフル・ドリーマーの焼き直しだ」なんて言うのはナンセンスだと思う。

 

それはともかく、暁美ほむらが転校してきた時点では「あれ?これって何周目かな?」なんてまだ思っていたけど、「ここって夢の中の世界なんだろうな」と思い至るまでに時間はかかりませんでした。それも、恐らくは、ほむらの夢だろうと。だって、こんな世界を誰よりも望んでいるのはほむらの筈だから。

なので、ほむらが「自分達をこの世界に閉じ込めた犯人探し」を始めたときは何とも皮肉だなと思いました。

「今が幸せならそれでいいじゃん? わざわざツライ現実に戻らなくても…」というのがその時の私の偽らざる気持ち。結果的にそれが物語の結末で自分にブーメランとして返ってくるのですが。

ほむらが好きな私が一番望んでいるのは他ならぬ『ほむらの幸せ』なんです。「私が好きなのは過酷な運命と闘っているほむらなので、あんなぬるま湯めがほむは好きじゃない」っていうのもあるんですけど、それでもなお、TVシリーズであんなに頑張ったご褒美としてこれくらいいいんじゃないかと思わずにいられない。

 

ただ、この世界がどうも、ほむらが魔女化した結果だという話になって、私の心境は複雑に。ほむらが魔女化というのがどうも受け入れ難いし。なんでよりにもよって、と。

その上、QBが結局黒幕で。こいつの掌の上で弄ばされるのはほんと気に入らないので、もうこんな夢の世界、革命しちゃうしかない。

正直、QBが黒幕だとは全然思ってませんでした。意味ありげなQBの目のアップもブラフだろうと思っていて。そもそもTVシリーズのラストのまどかによる世界の改変で、QBの存在自体が別の意味というか役割に置き換えられたと思っていたので。「もうこいつ、そんなに害はないだろう」と。

 

まあでも、まどかを守る為にQBと対峙するほむらはほんとカッコよくて、もう泣きそうになりながらこの辺りは観ていたんですけど。

そして、アルティメットまどかがほむらを迎えに来る。胸が熱くなりますよ・・・・・・・?

 

「でもまてよ」と。なんか違和感。並の作品ならこれで大団円です。でもこれはまどマギです。そんなウマイ話で終わる訳ない、そんな予定調和で終わる訳がない。

 

「・・・・・・ですよねー」って感じで、それでもなお予想もつかない方へ持っていってくれました。

これ以降は「え?本当にそれで良かったの?」ってずっとほむらに問いかけながら観る事になります。

ほむらのこの「心変わり」が、「まどかの本心を聞いて」の事だという理屈はまあわかるんだけど、そもそも誰も好き好んで自分を犠牲になんてしないですよ。そうせざるを得ない状況がそれを決断させているだけ。ほむらはそれが解ってなかったのか?というのが腑に落ちないですね。

それでもまあ、ほむら自身は「アルティメットまどか」よりも普通の「鹿目まどか」の方を望んでいるというのは理解できるし、最後の最後で自分のエゴをとった、というならそれはわかります。

 

でも、結局なんだったの?とも思ってしまう。

ほむらにとっては都合のいい筈の夢の世界を「まどかの為」に一度は否定しながら、結局自ら望んでそんな世界を再構築する。

「ほんとにそれでいいの?」ってどうしても思ってしまうんですが、ここで私の投げたブーメランが返ってくる。「今が幸せならそれでいいじゃん」って。

少なくとも、さやかと杏子のファンとかはこっちの世界の方がいいだろうね。ある意味、これはファンの望んだはずの世界なので、ハッピーエンドと言えばハッピーエンドなのかもしれない。

 

なのに、ほむらがちっとも幸せそうじゃないから、私はつらい。

自分で望んで選択して、結果も望んだ通りになった。それでも辛い思いをしなくてはならない、っていう事は人生においてはよくある事ですけどね。そんな人生論的なやつなの?

ヤンデレ化した、と言ってしまえばそれまでだけど。でも、私はヤンデレってあんまり好きじゃないんですけど、それって結局、傍から見てると全然幸せそうに見えないから、なんですよね。愛を手に入れてもね。

多分、ほむらはまどかを裏切った罪悪感があって、この世界でのまどかとのスクールライフを満喫できないんじゃないかと思う。それがあの、ほむらがちっとも幸せそうな表情をしていない理由だと思ってる。少なくとも私はこんな状況は望んでなかった。

 

ほむらはまどかの事が本当に大切で、だから鳥籠の中に入れて大事にする事にした、っていうのがこの世界だと思う。

でもそれはまどかの自由を奪う事だというのは理解していて。常に罪悪感に苛まれないといけない。

そして、いつかはまどかが自ら籠の外へと羽ばたくだろうという事も予感している。ウテナ風に言えばまさに、世界の革命。そう考えると不本意だけど、このほむらは暁生って事になるんだよね。

まどかがこの世界の真実に気づいた時、立ちはだからなければならない。

せつない。

ほんとせつないよね、えげつないわ制作者。

ウテナと重ねて観ていたこの作品だけど、ウテナが「外の世界へ」という物語だったのに対し、まどマギが逆のベクトルへ向かって収束したのは、なんというか、なんなんでしょうね?

 

しかし、改めて、ほむらのやってる事って結局ひとりよがりだなっていう思いが強まりました。

以前TVシリーズの感想を書いていたのでそれを読み返してみたら、その事にも言及してましたね。

今回、終盤でほむらが自分のエゴをとった、みたいな話にはなってますが、ある意味ほむらはずっとエゴイストだったとも思います。「まどかの為」っていうけど、「大切な人を守りたい」っていうのも究極的にはエゴだと思います。

 

まあ、とにかくもやもやは大分残りましたが、それで批判したいという事ではないです。自分の望んだ結末ではないからと叩くような子供でもないし。

カタルシスはなかったですが、そういうのを安易に求めるのもどうかとは思います。『君の名は。』みたいにすべてが都合良く上手くいって観客の望むものを全部見せてくれるような作品がいいとは思ってません。あれ、真に名作と呼ばれる映画なら、最後に再会はしなかっただろうと思います。その方が余韻が残るから。なんで急に君の名はが出てきたかといえばわりと最近観たからってだけの話なんですけど、あれはほんと映画館出た後びっくりするくらい何も残ってなかったです。

この『叛逆の物語』は少なくとももやもやは残ったし、多分十年経ってもみんなの記憶に残ってると思います。まあ、どっちも極端といえば極端なんだよな。君の名はは甘すぎるし、こっちは苦いというか、毒気が強い。TVシリーズ同様、ほんと悪趣味な話だなとは思いましたよ。でも結局また、暁美ほむらの事を考えてせつなくなって、まあ制作サイドの思う壺って事なんでしょうね。

 

でも結局のところ、「TVシリーズはラストでまどかが神になったので、劇場版ではほむらが悪魔になるしかない」みたいな発想だったのかも、とも思ってます。スケール的にそれくらいやらないとTVシリーズより薄味になっちゃう、みたいな感じで。

いやそもそも、神になったまどかに対してほむらが対等の立場になるとしたら、同じ神か、もしくは悪魔になるしかない。究極的には、ほむらは本当に想いを遂げたって事なんでしょうね。マクロレベルでは神のまどかと並び立つ対の存在になれたし、ミクロレベルでは神ではない普通のまどかとその日常を手に入れたのだから。

 

 

 

posted by: イチヰ | アニメ | 20:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

スポンサーサイト

posted by: スポンサードリンク | - | 20:09 | - | - | - |
コメント
 









トラックバック
 
http://ichiyi.jugem.jp/trackback/285