<< 今年のアニメを振り返る。 | main | 2月の新刊。 >>

『ユリ熊嵐』第1話

『ユリ熊嵐』、美術がものすごいです。
美術だけが目的でBD買う価値ある。
あの校舎の内装と螺旋階段だけひたすら眺めてうっとりしたいです。

実は過去にも同じような事を言っていた作品があってね。『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』っていうんだけど(笑)。あれは劇場版でこれはTVアニメだからね。TVアニメでここまでやっちゃうのかと、感心しきりというか、脱帽ですよ。もう溜息しか出ない。TVアニメでこの作品以上の美術なんて過去に存在してないでしょう。勿論シャフト作品念頭において言ってる。ウテナをも凌駕してるんじゃないかな? 正直、劇場版ウテナと比べてもどうだろう?って思うんだけど。
美術監督の中村千恵子さんって小林プロの出身だそうですね。ウテナにも美術監督補として参加されてる。成る程なって感じです。まわピンの時も小林七郎テイストはかなり感じてましたけど、今回は本当にすごい。師弟関係があるならかえってね「小林七郎越え」なんて軽々しく言い難いんですけど。いや、でも小林さんがそれで師匠冥利に尽きると言うなら幾らでも言いたいですけどね。

もう少し詳しくこの作品の美術の話をします。
まずは、螺旋階段。
ウテナファンなら螺旋階段見るだけでテンションが上がります。完全に刷り込まれてる。パブロフの犬。
ウテナと同じで、螺旋階段を上る(今回は下りもあったけど)シーンは人物の位置は変わらずに背景が動く。現実問題あれを人物の方を動かしたら作画がとても大変っていうのはあるんだろうけど、ヴィジュアル的にもやっぱり螺旋階段が動いた方が美しいんですよね。回転するドリルみたいに。
今作の螺旋階段は柵に鳥がデザインされていて「工夫してるな」って思った。お気付き頂けたでしょうか。上る時は鳥が下を向いていて、下る時は上を向いている。常に鳥の動きと向きがあっているんです。
そして何よりこのシーン、背景が動くんですよね。あれがもう、美しい。近景と遠景、その中間、と私の見た限りでは3枚のレイヤーで、近い方を速く動かして遠近を表現している。まあそれ自体、手法としてはよくあるとは思うけど。ただそれは普通ならリアリティの表現という事になるんだけど、この場合では寧ろけれんみがある。
ウテナでも似たような表現はあったようには思うんだけど、これね、見てるとほんと気持ち良いんですよ、視覚的に。螺旋階段が回ってるだけでも充分気持ちいいのに。
リアリティという意味では、嘘です。実写なら合成という事になる。螺旋階段とあの背景の動きは一致していない。鳥の向きも含めて、リアリティよりも表現優先で私は好きです。
他のシーンでも背景の動きはあったけど、やっぱりけれんみがあるのね。他のアニメではまずこういう動きはしないんじゃないか。それがやっぱり観ていて気持ちいい。

次に校舎の話を。
外観は現代的なデザインで、奇抜な三角形。
そして内装がウテナ同様のゴシック様式。それだけでも嬉しいのに、配色がすごい。赤と黒!! これもうほんとうっとりする。まあ私が、赤と黒とか、ピンクと黒なんていう配色が好きなのは、ウテナの影響を否定できないけど(笑)。
壁紙にも模様があってきれいですけど、これはデジタルならではですね。ウテナの時代にはやらなかった事。近年のアニメでは普通に見られる。
黒基調に赤、という配色は外観も同様だし、ほんと美しいです。しかも小林七郎タッチで塗られてますからね。アナログな雰囲気がとても良い。

この作品の視覚的な部分の話をするなら、アナログなところはウテナ、デジタルな感じはピングドラム、っていう感じ。美術以外の面も含めて、ですよ。
「ウテナ+ピングドラム+α」という印象。さて、中身に関してはどうなんでしょう? まだわからない。

でも、「熊よ!熊が出たわ!」という台詞に「暴れ牛だ!暴れ牛が出たぞ!」を思い出さずにはいられませんでした。「あー、同じ人が脚本書いてるんだなあ」っていうのがいかにもで。まあ、「暴れカンガルー」ほどのインパクトはないけど。
信じてもらえないかも知れないけど(笑)、今回私は特に「ウテナ的な何か」を期待して観るつもりはまったくありませんでした。でもこの台詞で目覚めてしまったのか。スイッチが入ってしまったのか。以降、何かと「ウテナっぽい、ウテナっぽい」と思いながら観る事になったのですが、でも実際、なるべくフラットな目で観てもやっぱりウテナっぽいんじゃないかとも思う。
紅羽と純花がウテナとアンシーに見えたり?いや私は特に声高にそう主張する気はないです。寧ろ私から「そう思ったでしょ?」と問い詰めた上で、「まあ私もそう感じたし」と多少の共感を示してあげるスタンスで。
校舎のゴシック様式は勿論、紅羽の家も西洋風だったり、あと制服のデザインだったり、何かしらフランスくさいのもウテナっぽい。
百合の花を鋏で切るシーンは、石蕗が植木鉢を落とすシーンを思い出しました。そしたら今度は上から煉瓦が落ちてくるでしょ。何この既視感。やっぱり同じ人が脚本書いてるんだなと思わざるを得ません。
ダンディなヴォイスで電話がかかってきた時は「世界の果てかな」って正直思いましたよ。屋上が決闘広場にしか見えませんでしたよ。決闘が始まりそうな雰囲気でしたよ。
赤い背景に黒のシルエットなんてまさに・・・なんてもはや言及する気にもならないくらい。

決定的に足りないのは、J・A・シーザー。及び演劇的要素。でも一番最後のBGM(ゆりくまーゆりくまー)は若干シーザー節入ってた気が。

一方で、断絶のコートの場面(裁判のシーン)は、ピングドラムなんだよね。

まあそんな事はともかく。私にとってこの作品は、(現段階では)「美術だけが見所」って感じです。トータルで好きかと言えば、それは微妙。
所謂「百合」はどちらかと言えば受け付けない方だし。まあ、ほんとにこの作品の百合がその百合なのか、決め付けてかからない方がいいと思うけど(笑)。
そして何より、ケモ耳に対する私の嫌悪感はかなりのものなので。ネットでイラストとか見ていて不意に獣耳イラストが目に入ると舌打ちしてウィンドウを閉じちゃうとか、よくあるので。東方とか結構地雷原。SAOも獣耳が原因で観るの途中でやめたし、ノーゲームノーライフに至っては観た事を後悔して止まない。なかったこと(記憶消去)にしたい。
『神様はじめました』も話としては結構ほっこりできて好きなんだけど、何せ耳が。「妖怪なら獣耳くらい生えてても」となんとか自分に言い聞かせて許容範囲という事にはしているけど、やっぱりどこか抵抗感があるんだろうね。イケメンに獣耳はどうしてもね。だいたい犬夜叉には生えてても、殺生丸様には生えてない、ここ重要。

でもそれらは結局、表層的な話であって、本当に重要なのは核心。この物語の核心がなんなのかは、まだわからない。なるべく今後の展開に対して予断は排したいので、1話だけの情報であーだこーだというのもどうかとは思います。
ただ気になったのは、まわピンに引き続いて「透明」というキーワードが出てきた点。「透明な嵐」も気になるけど、一番引っ掛かったのは、透明にならないから熊に襲われる、みたいな話をクラスの子達がしていた点。目立たないように、透明な存在になってやり過ごさないと、つぶされる。私にはそう聞こえた。空気を読んで、みんなといっしょ、そうしないと排除される社会。
あと、熊というモチーフについては、矢張りまわピンからの流れで「宮澤賢治かな?」と思ってしまうのはある意味必然的。


あとで追記するかも。
posted by: イチヰ | アニメ | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

スポンサーサイト

posted by: スポンサードリンク | - | 21:07 | - | - | - |
コメント
 









トラックバック
 
http://ichiyi.jugem.jp/trackback/276